何度も書いたことがある、社用車のベンツ。
とうとう、月曜日に業者さんにお願いして引き取っていただきました。
なんと言っても、平成6年購入22万キロ走破!
父は社長ではあったけれど、社員に新車を買っても、父はいつも社員のお下がりのバンを乗っていたとか。
初めて自分用に買った新車がTOYOTAマーク2のツインターボ。
「次はVOLVOに乗りたいんだ
」、と言いつつも、マーク2をすごくすごく喜んで、カッコいいと惚れ惚れしながら大切に乗っていた。
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事情があり、大森から千葉に引越して、3年。
今まで風邪も引いたことがなかったような元気な父に初期ガンが見つかった。
2年の闘病の後、余命半年を宣告された。
父は「僕が死んだ後だと車を買えないだろうから、今のうちに買っておきなさい」と、母と私が安全に通勤できるように、その当時まだ少なかったデュアルエアバッグとABSが付いた車を条件に選ばせてくれた。
千葉と大森を車で往復すると1日130キロの走行距離。
マーク2も、私が乗っていた1000ccの5ドアのコルサももう10万キロを超えていた。
トヨタのファンだった父の条件を満たすトヨタ車はセルシオ、マジェスタなど高級車ばかりで、車体が大きく私には運転がしにくいし、ガレージにも入らない。マーク2ならオプションでようやく条件を満たすけれど、金額がかなりアップする。
それならベンツが買えるよ、という車好きの友人のアドバイスの元、C200という一番小さなベンツになった。
「ベンツにも乗ってみたかったんだよなぁ
」と、すっかり体重が半減して弱々しくなった父の笑顔が輝いた。
私はもともと車に興味があったわけでもない。
むしろこう見えてすごい運動オンチなので、千葉に引っ越してからの足にと教習所に通い始めたものの、半クラッチができなくてなかなかハンコがもらえず、泣きながら免許を取った。
それでも、コルサの後のベンツだったこともあり、とにかく乗るたびにいい車だなぁ、と思い大好きになって、すっかり国産車には興味がなくなってしまった。
長年商用車の助手席にばかり乗っていた母も、ベンツのコーナーでの安定感がお気に入り。
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その当時、アラサーで気の強そうな私が運転して、50代だった母が助手席に乗っている姿は、バブルの名残があり、ファミリーカーと言えども、あの頃はちょっと生意気な姿に見えたかもしれない。実際、皮肉を言われたこともあった。
反対に、友達のピカピカとは言えないハイエースを借りて母を助手席に乗せた時は、色んなトラックの運ちゃんになぜか嬉しそうに挨拶をされたこともあった。
ベンツの時には感じなかったけれど、ハイエースだと遅いと思われるのか、わき道から車がバンバン出てきて、怖い思いをしたこともあった。
事故の時だけ守ってくれているわけではない、と改めて感謝するとともに、珍しい車でもないけれでも、中に乗っている人間が同じでも車種で社会はこんなに違うものか、とびっくりした。
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父が亡くなってから、新社長になった母は会社を守る為にいつも朝早くから夜遅くまで商品開発をしたり、書類を作ったりしていたし、私も移動はいつも駆け足で、郵便物に貼る切手をシートから切り離す時間さえもどかしいくらいに忙しかった。
毎日ヘトヘトだったけれど、この頃からバイクに乗り始めていたこともあり、仕事にバイクに毎日寝不足で、母とよく車で移動して、早めに目的地に着いては一寝入り。
ようやく千葉の自宅のガレージに着いても、二人ともあまりの眠さに車から出られない。
「お残りしよっか♪」と言って、自宅のガレージで座席を倒して一寝入り(笑)
C200の一番安い車種は、シートを倒すのは電動のスイッチでもレバーでもない。シートの脇にある直径7~8センチのダイヤル。
これをキコキコと回し続けないと倒れてくれない。
倒したら倒したで、目が覚めたらまたキコキコと回して起こさなきゃいけない。
ちなみに千葉のわが家は小さな集落の入り口にあるから、そこの住民の95%くらいは我が家のガレージの前を通っていく。
通りに向かって停めてある車の中で、その家の住民が寝てる光景には、ご近所さんはびっくりしたと思うけれど、私と母には自由で幸せなひと時だった。
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半年とか1年経つと、ワイパーが壊れる。時計が壊れる。エアコンが壊れる。後付のキーのリモコンが壊れる、皮製のリモコンカバーが破れてリモコンが紛失する。
など、電気系統はことごとく一度はだめになったが、パナソニック製のオーディオはさすがに強かった!
電気系統は弱かったけれど、足周りやエンジンやドア周りはすごく頑丈で、ガタが来ない。
以前、海外から200~300kgもの樹脂を輸入したときには、自分で通関書類を書いて、そのままベンツにその荷物を積んで帰って来たりもした。
トラックヤードや保税倉庫に不似合いなベンツ。
スーツのうら若き(?)女性が1袋25kgの樹脂の袋をヨイショヨイショと、トランクから後部座席、足元のスペース、助手席へと何10袋と積み込み続ける。
ミスマッチな絵に、待機中のトラックの運ちゃん達が出てきて毎回手伝ってくれたり、木製のパレットは引き取らないといけないところ、免除してもらった。
すべての荷物を積んだ過積載のベンツはサスペンションが縮みきった状態で、お腹をガリガリと段差にこすらせながら車道に出て行く。
ベンツでありながら、アルミホイールも履かせてもらえずに、ノーマル仕様のホイールキャップのままで、しかも仕事っぷりがハイエース!
一度、ガソリンスタンドでホイールキャップを外したものの、どうやってもはめることができなくて、1本のタイヤだけ中の黒いホイールがむき出しになったままで、走っていたこともあった。
その状態で仕事の帰り道にバイク仲間のお茶会に顔を出したら、さすがに「格好悪い!」とみんなに大慌てで取り付けてもらったりもした。
ガレージでギリギリに寄せようとるので、しょっちゅうバンパーに擦り傷を作ったり、トランクをへこませたりしていたので、よくからかわれたり、このベンツは行く先々で色んな観点で注目の的となった気がする。
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そのうち、母と私は通勤時間がもったいないと、平日は会社の荷物置き場の6畳くらいのスペースで寝泊りして、週末だけ千葉の家に帰るという生活を1年ほどした。
さすがに疲れがたまり、母は1番上の私の姉と同居を始め、私も2番目の姉と少し同居をした後、千葉の家で一人暮らしを始めてまた通勤生活。
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でも、いろいろあって約10年前に私も大森にマンションを買い、通勤には自転車に乗るようになり、ベンツの出番は激減。
昼休みに車でマンションに戻るための往復や、誰かの送り迎え、重い荷物を運ぶ時くらいしか、活躍の場がなくなってきてしまった。
ところがマンションも駐車ができないようにコーンが立てられて、もう昼食に車で帰ることもできなくなり、去年の12月にスクーターを買った。
とうとうアルミホイールも履かせてあげないまま、カーナビもつけることもなく、天井も落ちてきたり、エアで動くキーも助手席側からしか開かなくなって、スピーカーも壊れた。震災後のガソリン不足でますます乗らなくなりバッテリーも上がった。
ケーブルも経年劣化でボロボロになってしまっているから、走行中にいつ止まったり発火するかもわからない。。
ただエンジンだけが元気。
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父のプレゼントを手放すこと、昨年社長交代をした私が会社の古いものを手放して世代交代を進めていくこと、もう一方で、年に数回しか乗らないのに、情があるからという理由で会社の経費を使って置いておくこと。
これらすべてに対する後ろめたさにしばらく悩んだけれど、やっぱり今はその後ろめたさや情を断ち切ることが必要な時期のはず。
そう思って11月18日で切れる車検を前に、母に相談した。
もう古いものは手放しなさい。執着することはないのよ。と笑いながらきっぱりと背中を押してもらい、思い切ってさよならすることになった。
このベンツは、ヤナセさんに就職した同級生に仲介してもらった。
車検も彼に仲介してもらっていたので、最後も彼に紹介してもらった業者さんに引き取ってもらことになった。
使える部品はアジアなどに売って使ってもらえるんだそう。
これだけ走っても、まだどこかで走ってくれるんだ?
引渡し当日、車内に置いてあったカセットテープとか10連奏のCDチェンジャーのブックとか、昔懐かしい首都高速の600円の回数券とか、新発売記念のピンバッジとか、アジアでも今の日本でも役に立たなさそうなグッズは車内から出し、洗車して、アジアに旅立つであろうエンジンルームを拭いてから、母も一緒に最後の記念撮影。
レッカーされるところは辛すぎて見届けるのことはできなかった。
ガレージでさよならとお礼をベンツに言って、ちょうど営業先からガレージに戻ってきた営業部長の山ちゃんと歩きながら会社に戻った。
山ちゃんは、私が高校生の時にファインに就職して以来、父の代、母の代、そして私の代と、いつも控えめにファインと清水家を支えてきてくれている、本当に大切な存在。
そんな山ちゃんは、会社までの数10メートルを、ヒクヒクと泣き続ける私の横を歩きながら、大きな事故もなく私たち親子と会社を守ってくれたベンツへの感謝の気持ちを代弁しつつ、しきりに優しく声をかけて続けてくれるのでした。
この山ちゃんって人は、きっと私の人生が映画やドラマになったら、観ている人が随所で「あ~!この山ちゃんがいい味出してるんだよねぇ♪」って、つい言いたくなるキャラクターなの。もう私の人生の2/3くらいは一緒にいるしねぇ。
会社のスタッフには「今日は泣いちゃうわー。」と宣言してはあったけれど、本当に泣き腫らした顔で会社に戻るのも照れくさいので、山ちゃんだけ事務所に戻り、私はしばらく倉庫で片付けをしたり、まだレッカーされていないか、未練がましく通りに出てチョロチョロと様子を覗いたりして、心身ともに落ち着けてから事務所に戻った。
このベンツとはたくさんの思い出が詰まっていて、手放すのはとても寂しいけれど、環境は刻々と変わっていくから、しっかり向き合って行かないとね。
17年間、お疲れ様でした。
また世界のどこかで活躍してね。
感謝とねぎらいと思い出を込めて。
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