家族

2015年6月13日 (土)

めでたく結婚!!

と、言っても私ではありません(笑)

20歳違いの姪っ子「さぼちゃん」が、アイルランドに留学に行き、現地で知り合ったフィンランド人の男性と、
この度めでたく結婚をいたしました。

Sabo_2

残念ながら私は参列できず日本で留守番でしたが、それはそれは心温まる結婚式だったようです。


これからは旦那さんとアイルランドで住むので、なかなか会えなくなってしまいます。

とにかく幸せな人生を二人で歩んで欲しいです。


彼女は、私の姉のお腹の中にいる時から、まさに波乱に満ちた幕開けでした。

彼女なりに辛い時期があっても、それでも魂の導く方へ方へと、

歩みを止めることのなかったさぼちゃん。

とにかく彼女の行動力には頭が下がるのです。


なんだかややこしい子だけれど、
どこに行っても愛されるキャラクターで、皆の話題の中心になるのです。


彼女の小さい頃からの可愛い語録は、まだ私の中で日常使いであり、
彼女の存在は、地理的に遠くなっても私の中からなくなることはないんだろうな、と思うのです。


さぼちゃん、小さい頃から清水家の皆をたくさんたくさん楽しませてくれて、本当にありがとう。


そして、これからもさぼちゃん自身と、さぼちゃんに関わる人すべてが、もっともっと幸せになりますように、

祈っております(確信しております)。

2015年5月12日 (火)

母の日

日曜日は神田明神。

お祭り女ではないので、お祭りに行くことはあまりないんですが、
今回は100周年だとかで、チラッと見てきました。

秋葉原のエキュートも、グッドデザイン賞を受賞していたので興味があり、神田駅から秋葉原を通って、おみこしを見て帰って来ました。
Kanda2

この日は母の日でしたので、地元大森のイタリアンレストランに母と夕食に行ってきました。

レストランを選ぶときも「今まで行ったことがない店が良い」と好奇心いっぱい。
そして最近、姪に教わって始めたタブレットでの動画検索や、家族とのLINE。
これが、スタンプの選び方が秀逸でセンス抜群!
いつも家族で爆笑しております。

そんな母への今年のプレゼントは、富士山好きの母の為にチェックしていた富士山プレート。
富士山型に凹んでいるくぼみにお醤油を入れると、富士山が浮かび上がるというもの。
Hahanohi


ここの所、母の透視能力が冴えているので、プレゼントを開ける前に色や形や素材を当ててもらっています。
これがなかなかの的中率!!

前回、富士山型の錫のおちょこをプレゼントした時も、
素材までちゃんと当たりました!

今回は箱の形や重さからお皿は推察できそうなものですが、
色をちゃんと当てていました!

父はちょうど20年前に他界してしまったので、父の日はもう丸20年もやっていないので、父の日がいつごろなのかすっかり忘れてしまっています。

なので、こうして今年も母の日に母と一緒にいられるのは、ありがたいことです。

いつまでも元気で長生きしてね。

2012年3月20日 (火)

父を偲んで

父を偲ぶと言っても、感動的でしんみりした話題ではないのですが、3月23日が命日なので、少し書いてみようと思います。

先日、18回忌で家族で集まり小さな法事を身内だけで行い、父が大好きだったカニを食べて帰って来ました。

高速道路を走っていても

「静かに」

という看板の「かに」に反応しては運転中にニヤついていた父。

元々太陽みたいにニコニコしていた人なのですが、嬉しいことがあるといつもにも増して隠せない人でした。

出張帰りにカニを持って帰ってくると満面の笑顔で、いそいそと玄関から上がってきたような思い出があります。

最後に父のお姉さん達と行った旅行で、手描きの湯呑みを焼いたそうなんですが、へたっぴなカニが描かれていました(^_^;)

そんな父が亡くなる前に母に宛てた筆談メモに

「春の服を買いなさい」

と書いていたのを、この時期になるといつも思い出します。

病床にあって、どんな思いでこの言葉を書いたのかは、私には推し量ることはできません。

ただ、なんとも言えずロマンチックのような、軽やかで、愛にあふれた言葉だなぁ、と私は感じるのです。

私と母が日中会社に行っている間に、一人自宅に居て、色んなことを考え、父が撮った家族や親せきや、旅行に行った時のたくさんの写真を整理し、彼自身の気持ちも整理する時間がたくさんありました。

ですから、もう寝付いてしまったこの時には既に安らかな気持ちでいたようですし、ただただ母への愛や感謝を伝えるメモが多かったように思えます。

父は本当に母を大切にしていて、重い荷物を持ったり、車通りの多いところを横切る時には手をつないだり。

めったに行かないカラオケでも、母へのラブソングばかり。

まぁ、酔って歌うので大体はテンポがずれて、爆笑のラブソングになっていましたが(笑)

母だけを見ていたんだなぁ、と今でもつくづく思います。

父がいなくなり、再婚する気もない母を守らなくちゃいけない、といつの間にか父がしていたような役割を意識してやるようになっている自分もいます。

一昨年の「ガイアの夜明け」では、父が私に宛てた遺書がテレビで公開されました。

まさか亡くなってから15年くらい経ってそんなことになるとは父も想像すらしなかったはずで、天国でいつもみたいに「ハハハ・・・」と照れ笑いをしていたのではないでしょうか。

父と一緒に仕事をしたのは実質4年も無いくらいだし、反抗的な態度ばかり取っていた私は大して父と話をすることもなかったけれど、断片的に私に伝えてきた言葉のいくつかは、今でも消えることはなく、いつも心の片隅にあります。

「直子は一番俺の性格に似ている」と遺書に書いてあったのを、今は確かにそうかもしれないと実感するようになりました。

早く天国の父を安心させられるようにならないといけないなぁ、と思う今日この頃なのでした。

そんなわけで、3月22日は三幸エステート様主催の「アサンテ会」にて、私の事業承継についての講演をさせて頂きます。

そういえば、今月発売の日経トップリーダーの記事も事業承継で出させて頂いたんでした。

今月は、いつもより多めにこのことを噛み締める時期なんでしょうか。

幸せなことですね。

2011年11月18日 (金)

母の本「宇宙観-2」が出版されます。

昨年の9月から会長職になった私の母・清水和惠が、数年前から始めた点描画が、発売されることになりました。

昨日からamazonでも予約開始になりました。

Uchuukan2

「2」となっていますのは、一版もあるからなんです。

自分で刷って製本したり、オンデマンドの業者さんに印刷・製本してもらったりしたのですが、素直で乗せられ上手で彼女は、いろいろな方のアドバイス通りに動いているうちに、とてもありがたいご縁とご協力を頂いて、きちんとした本として「2」を出すことができることになりました。

この点描画は、文字通り点の集まりで絵になっています。

カラーボールペンで、厚紙に根気よく点々・・・・を描いて絵にします。

線で○を描くと、もう□にはなりませんが、点で描けば、○も□に描きなおすことができるんですよね!

実は私も母と一緒に点描画の教室に行ったんですが、私はどうも照れくさくてダメでしたが、もともと創作が大好きな彼女は、コツコツと描き続け、こうして本を出すほどになりました。

仕事も粘り強い人ではありますが、真面目に続けると色々と可能性が広がるものだと、彼女にはいつも教えられる気がしています。

本の説明を読むと、もしかしたら違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんので、ちょっと補足。

あるテーマ(言葉)を思い浮かべると、ある人は音が頭の中に流れたり、ある人は匂いを感じたり、ある人は映像が頭の中や目の前に広がったり、ある人は文章が綴られたり、その方の持っている感覚の中で最も得意というか鋭い、またはよく使っている感覚が反応すると思います。個人差はもちろんありますが。

感覚というのは、元々あまり活性化していなくても、使うことを意識するとある程度磨かれるようになるもののようです。

そんな感じで、母も初めは描きたいテーマを決めては、筆を持ち、ちょっとした絵をカラー筆ペンで描いていましたが、しばらくはその絵の意味もよくわからないままに続けていたら、それに1~2行のコメントが付くようになり、そのうちコメントが文章になり。

で、今度はそのカラー筆ペンで描いた絵を点描画に描きなおして、文章をつけたものを書き溜めて今回の画集となりました。

で、この「テーマ」というのを個人にしたものありまして。

路上などで即興で自分のために詩を書いてくださる詩人さんとかで、なんとなく想像していただけるかな、と思うんですが。

そんな感じで、その方の本来持っている輝きを絵にして、文章をお付けする、ということもしております。

これがお陰様でなかなか人気でして、口コミでご注文を頂いているようです。

そういえば先日、「絶対受注名刺」という本を読みました。

「”使命”とは、自分の命をどのように人生や仕事に使っていくか」

という一文がその中にありました。

使命を持っていること自体に気づかなかったり、何が使命なのかを模索しながら生きている方も多いと思います。

使命に気づいて生きるのと、そうでないのとは、生きている意味や行動がかなり変わってくるのではないでしょうか。

彼女は、ファインでのモノづくりを経て、今度は絵を描くことで、人様の魂を輝かせるお手伝いも使命としているのかもしれません。

社長仲間でいつもお世話になっている(株)システムクレールさんにもご協力頂き、今週末にはホームページもオープンする予定です。

ご興味があります方はどうぞ訪問してくださいませ。

http://www.tenq.ai

  ↑

11/20からです。

2011年11月11日 (金)

18年目のお別れ

何度も書いたことがある、社用車のベンツ。

とうとう、月曜日に業者さんにお願いして引き取っていただきました。

なんと言っても、平成6年購入22万キロ走破!

Meter

父は社長ではあったけれど、社員に新車を買っても、父はいつも社員のお下がりのバンを乗っていたとか。

初めて自分用に買った新車がTOYOTAマーク2のツインターボ。

「次はVOLVOに乗りたいんだhappy01」、と言いつつも、マーク2をすごくすごく喜んで、カッコいいと惚れ惚れしながら大切に乗っていた。

☆---

事情があり、大森から千葉に引越して、3年。

今まで風邪も引いたことがなかったような元気な父に初期ガンが見つかった。

2年の闘病の後、余命半年を宣告された。

父は「僕が死んだ後だと車を買えないだろうから、今のうちに買っておきなさい」と、母と私が安全に通勤できるように、その当時まだ少なかったデュアルエアバッグとABSが付いた車を条件に選ばせてくれた。

千葉と大森を車で往復すると1日130キロの走行距離。

マーク2も、私が乗っていた1000ccの5ドアのコルサももう10万キロを超えていた。

トヨタのファンだった父の条件を満たすトヨタ車はセルシオ、マジェスタなど高級車ばかりで、車体が大きく私には運転がしにくいし、ガレージにも入らない。マーク2ならオプションでようやく条件を満たすけれど、金額がかなりアップする。

それならベンツが買えるよ、という車好きの友人のアドバイスの元、C200という一番小さなベンツになった。

「ベンツにも乗ってみたかったんだよなぁheart02」と、すっかり体重が半減して弱々しくなった父の笑顔が輝いた。

私はもともと車に興味があったわけでもない。

むしろこう見えてすごい運動オンチなので、千葉に引っ越してからの足にと教習所に通い始めたものの、半クラッチができなくてなかなかハンコがもらえず、泣きながら免許を取った。

それでも、コルサの後のベンツだったこともあり、とにかく乗るたびにいい車だなぁ、と思い大好きになって、すっかり国産車には興味がなくなってしまった。

長年商用車の助手席にばかり乗っていた母も、ベンツのコーナーでの安定感がお気に入り。

☆---

その当時、アラサーで気の強そうな私が運転して、50代だった母が助手席に乗っている姿は、バブルの名残があり、ファミリーカーと言えども、あの頃はちょっと生意気な姿に見えたかもしれない。実際、皮肉を言われたこともあった。

反対に、友達のピカピカとは言えないハイエースを借りて母を助手席に乗せた時は、色んなトラックの運ちゃんになぜか嬉しそうに挨拶をされたこともあった。

ベンツの時には感じなかったけれど、ハイエースだと遅いと思われるのか、わき道から車がバンバン出てきて、怖い思いをしたこともあった。

事故の時だけ守ってくれているわけではない、と改めて感謝するとともに、珍しい車でもないけれでも、中に乗っている人間が同じでも車種で社会はこんなに違うものか、とびっくりした。

☆---

父が亡くなってから、新社長になった母は会社を守る為にいつも朝早くから夜遅くまで商品開発をしたり、書類を作ったりしていたし、私も移動はいつも駆け足で、郵便物に貼る切手をシートから切り離す時間さえもどかしいくらいに忙しかった。

毎日ヘトヘトだったけれど、この頃からバイクに乗り始めていたこともあり、仕事にバイクに毎日寝不足で、母とよく車で移動して、早めに目的地に着いては一寝入り。

ようやく千葉の自宅のガレージに着いても、二人ともあまりの眠さに車から出られない。

「お残りしよっか♪」と言って、自宅のガレージで座席を倒して一寝入り(笑)

C200の一番安い車種は、シートを倒すのは電動のスイッチでもレバーでもない。シートの脇にある直径7~8センチのダイヤル。

これをキコキコと回し続けないと倒れてくれない。

倒したら倒したで、目が覚めたらまたキコキコと回して起こさなきゃいけない。

ちなみに千葉のわが家は小さな集落の入り口にあるから、そこの住民の95%くらいは我が家のガレージの前を通っていく。

通りに向かって停めてある車の中で、その家の住民が寝てる光景には、ご近所さんはびっくりしたと思うけれど、私と母には自由で幸せなひと時だった。

☆---

半年とか1年経つと、ワイパーが壊れる。時計が壊れる。エアコンが壊れる。後付のキーのリモコンが壊れる、皮製のリモコンカバーが破れてリモコンが紛失する。

など、電気系統はことごとく一度はだめになったが、パナソニック製のオーディオはさすがに強かった!

電気系統は弱かったけれど、足周りやエンジンやドア周りはすごく頑丈で、ガタが来ない。

以前、海外から200~300kgもの樹脂を輸入したときには、自分で通関書類を書いて、そのままベンツにその荷物を積んで帰って来たりもした。

トラックヤードや保税倉庫に不似合いなベンツ。

スーツのうら若き(?)女性が1袋25kgの樹脂の袋をヨイショヨイショと、トランクから後部座席、足元のスペース、助手席へと何10袋と積み込み続ける。

ミスマッチな絵に、待機中のトラックの運ちゃん達が出てきて毎回手伝ってくれたり、木製のパレットは引き取らないといけないところ、免除してもらった。

すべての荷物を積んだ過積載のベンツはサスペンションが縮みきった状態で、お腹をガリガリと段差にこすらせながら車道に出て行く。

ベンツでありながら、アルミホイールも履かせてもらえずに、ノーマル仕様のホイールキャップのままで、しかも仕事っぷりがハイエース!

一度、ガソリンスタンドでホイールキャップを外したものの、どうやってもはめることができなくて、1本のタイヤだけ中の黒いホイールがむき出しになったままで、走っていたこともあった。

その状態で仕事の帰り道にバイク仲間のお茶会に顔を出したら、さすがに「格好悪い!」とみんなに大慌てで取り付けてもらったりもした。

ガレージでギリギリに寄せようとるので、しょっちゅうバンパーに擦り傷を作ったり、トランクをへこませたりしていたので、よくからかわれたり、このベンツは行く先々で色んな観点で注目の的となった気がする。

☆---

そのうち、母と私は通勤時間がもったいないと、平日は会社の荷物置き場の6畳くらいのスペースで寝泊りして、週末だけ千葉の家に帰るという生活を1年ほどした。

さすがに疲れがたまり、母は1番上の私の姉と同居を始め、私も2番目の姉と少し同居をした後、千葉の家で一人暮らしを始めてまた通勤生活。

☆---

でも、いろいろあって約10年前に私も大森にマンションを買い、通勤には自転車に乗るようになり、ベンツの出番は激減。

昼休みに車でマンションに戻るための往復や、誰かの送り迎え、重い荷物を運ぶ時くらいしか、活躍の場がなくなってきてしまった。

ところがマンションも駐車ができないようにコーンが立てられて、もう昼食に車で帰ることもできなくなり、去年の12月にスクーターを買った。

とうとうアルミホイールも履かせてあげないまま、カーナビもつけることもなく、天井も落ちてきたり、エアで動くキーも助手席側からしか開かなくなって、スピーカーも壊れた。震災後のガソリン不足でますます乗らなくなりバッテリーも上がった。

ケーブルも経年劣化でボロボロになってしまっているから、走行中にいつ止まったり発火するかもわからない。。

ただエンジンだけが元気。

☆---

父のプレゼントを手放すこと、昨年社長交代をした私が会社の古いものを手放して世代交代を進めていくこと、もう一方で、年に数回しか乗らないのに、情があるからという理由で会社の経費を使って置いておくこと。

これらすべてに対する後ろめたさにしばらく悩んだけれど、やっぱり今はその後ろめたさや情を断ち切ることが必要な時期のはず。

そう思って11月18日で切れる車検を前に、母に相談した。

もう古いものは手放しなさい。執着することはないのよ。と笑いながらきっぱりと背中を押してもらい、思い切ってさよならすることになった。

このベンツは、ヤナセさんに就職した同級生に仲介してもらった。

車検も彼に仲介してもらっていたので、最後も彼に紹介してもらった業者さんに引き取ってもらことになった。

使える部品はアジアなどに売って使ってもらえるんだそう。

これだけ走っても、まだどこかで走ってくれるんだ?

引渡し当日、車内に置いてあったカセットテープとか10連奏のCDチェンジャーのブックとか、昔懐かしい首都高速の600円の回数券とか、新発売記念のピンバッジとか、アジアでも今の日本でも役に立たなさそうなグッズは車内から出し、洗車して、アジアに旅立つであろうエンジンルームを拭いてから、母も一緒に最後の記念撮影。

Badge

レッカーされるところは辛すぎて見届けるのことはできなかった。

ガレージでさよならとお礼をベンツに言って、ちょうど営業先からガレージに戻ってきた営業部長の山ちゃんと歩きながら会社に戻った。

山ちゃんは、私が高校生の時にファインに就職して以来、父の代、母の代、そして私の代と、いつも控えめにファインと清水家を支えてきてくれている、本当に大切な存在。

そんな山ちゃんは、会社までの数10メートルを、ヒクヒクと泣き続ける私の横を歩きながら、大きな事故もなく私たち親子と会社を守ってくれたベンツへの感謝の気持ちを代弁しつつ、しきりに優しく声をかけて続けてくれるのでした。

この山ちゃんって人は、きっと私の人生が映画やドラマになったら、観ている人が随所で「あ~!この山ちゃんがいい味出してるんだよねぇ♪」って、つい言いたくなるキャラクターなの。もう私の人生の2/3くらいは一緒にいるしねぇ。

会社のスタッフには「今日は泣いちゃうわー。」と宣言してはあったけれど、本当に泣き腫らした顔で会社に戻るのも照れくさいので、山ちゃんだけ事務所に戻り、私はしばらく倉庫で片付けをしたり、まだレッカーされていないか、未練がましく通りに出てチョロチョロと様子を覗いたりして、心身ともに落ち着けてから事務所に戻った。

このベンツとはたくさんの思い出が詰まっていて、手放すのはとても寂しいけれど、環境は刻々と変わっていくから、しっかり向き合って行かないとね。

17年間、お疲れ様でした。

また世界のどこかで活躍してね。

感謝とねぎらいと思い出を込めて。

Photo

2011年9月30日 (金)

姉と入れ替わりで

今日はまた暑いですね!
少し風邪気味になってきました。

昨日のちょっとおセンチな別れから一夜明けて、今日はとても重要な書類の提出日!

緊張しながら書類の最終チェックをしていたら、会社のドアを開けて「ただいま!」という元気な若い男性の声。

予定より一日早く、20才の甥っ子が留学先のオーストラリアから帰国!

ほんのりと海外らしい甘い香料を漂わせながら、少し日に焼けて、成人式で帰国した時よりふっくらして帰ってきた。

夏からファインの保安部長として自主出勤中のコロは、しばらく飼い主が帰って来たのが認識できず、呆然として戸惑っていたけれど、分かった途端大喜びで離れない。

飼い主である姉が出張から帰ってもチラ見くらいしかしないクールなコロなのに、さすがに大喜び。

小さい頃からシャワーとお風呂大好きの甥が、一旦シャワーを浴びるからと、会社を出ていくと、落ち着きなくクンクン泣いていた。

シャワーを浴びてまた会社に戻ってきた甥は会社にいた女性スタッフ皆にハグして回っていた。

洋行帰りはやはりそうなるのね(笑)

姉は自分の息子が今日帰国するとはたぶん知らずに朝から台湾にボディメンテナンスしに行ってしまいました。(これからいくらでも会えるけど)

起業を目指して勉強中の甥っこは、来週開催される国際福祉機器展でお手伝いに来る予定です。

会社に出入りしているから甥も姪も即戦力になるのです(笑)

自家インターンシップですわね。

ということで、今から書類も整えていざ提出に行ってまいります!

結果が分かったらまた報告します(^_^)

素敵な週末を♪

2011年9月29日 (木)

全てうまく行きますように!

以前の私よりもずっと強くなったけれど、基本的に動揺しやすい私。

そんな時、おまじないの様に唱えるのが、

「全てうまく行きますように!」

です。

大変な時だけではなくて、単に願い事をする時も使うこの言葉。

最終的にうまく行くと思えば、途中の失敗はあまり気にならない。

すごく単純なんだけど、とても大切にしている言葉で、毎日のように心の中で繰り返しています。

自分のことだけではなくて、人様のことを思う時も使う言葉です。

そして今日は、長姉の薫がファインを卒業しました。

出たり入ったりですが、足掛け23年。小学校の頃からファインの手伝いはしてきていたから、本当は約40年(笑)

フラワーデザインの講師もやりながらだったので、週に3日前後の出勤で地味な仕事をコツコツと裏方に徹して母の開発を手伝ってきました。

ファインのムードメーカーでもあり、ここのところは商品開発スタッフの中心となっていて、NB商品のほとんどは彼女の仕事だったりします。

6~7年前からは新しくカウンセラーの仕事をすることになり、週末はほとんど出張で一日に20人くらいのお客様のお手伝いをしてきました。

ファインとカウンセリングとお花の講師を掛け持ちし、たまの休みの日もアクセサリを作ったりして、ゆっくりできない性格。

でも、先日あるきっかけでこの忙しい生活を見直すことになりました。

私なりに彼女の気持ちを聞いたり、自分なりに考えた結果、ファインはこの際すっぱり離れて、カウンセリングの仕事を思い切りやってほしいと、提案しました。

彼女はカウンセリングをしている方が彼女らしく、とても魅力的だから。

そういう私も、彼女のカウンセリングのお陰ですごく変われました。

自分を変えるのはとても勇気がいることだったけれど、彼女のアドバイスは時に厳しく、私には突き刺さってきたけれど、言いにくいことをきちんとその場で叱ってくれるって、社会人なるとなかなかしてくれる人はいない。

自分の考え方を根本から変えるのには1年くらいかかったけれど、いつも根気強く話を聞いてくれて、ビシッと私の間違った考えを指摘してくれました。

最初は癪に障ったけれど、一切の言い訳をしないようにして、「彼女がこれを言う理由はただひとつ。そこには愛しかないんだ」と自分に言い聞かせて、感情が収まったらその場で「言いにくいことをありがとう」と言うようにしてきました。

そんな経緯もあって、姉は私が社長になって大丈夫かしら、と、心配でなかなかファインを離れる決心がつかなかったという、なんて美しい姉妹愛(笑)

ま、そんなこんなでファインは商品開発の戦力を失ってしまい、心細いし、姉も後ろ盾がなくなってもう後に引けない(?)状況ではありますが、両者にとって新しく、そして素晴らしい門出です。

ちょっと今日はセンチメンタルになってしまったけれど、きっとすべてうまく行くはず。

だって、自分の損得ではなく、それぞれが心の声・魂の声を聴いて決断したことだから、すべてうまく行く。

彼女の仕事は本当に大変な仕事なんだけど、とても素晴らしくて、私の自慢の姉です。

(周りの人は皆聞かされてますよね、すみません)

一か月間ゆっくりと休養してリフレッシュしたら、11月からは自分のペースで皆さまのお役立ちが思い切りできるように、そして彼女がいつも生き生きとしていられるように、陰ながら応援しています。

http://fino.lolipop.jp/

Kaoru_party

               ↑

手に持っているのは、急いで作ったプレゼントの目録(笑)

ホームベーカリーと、普段私が使っているオーガニックの強力粉や、天然酵母、黒糖など、体に優しいパンを手作りできるよう、一式をプレゼントです。

ずっと明るくて元気なお姉ちゃんでいてね!

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